2014年のエバシ園芸通信 
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きっと今年もウマくいくぜ・・・
カキオコと絵マップを始めたのは2002年。実は午年だった。
何か新しい流れ、良い流れが起こりそうな、起こしそうな・・・
 
八朔とカボスで作ってみました。
 

元旦。今年は4人で朝祝い

アナゴとかまぼこの雑煮 

今年も弟妹一家との正月会  

晴天の霹靂から1年過ぎて・・・「観光課2年目の旅のアルバム」
一昨年(2012年)の4月に突然、「旅行」が仕事になって、住む世界が一変。この一年もいろんな場所でいろんな経験をさせていただきました。一生の中でも、きっとホットで思い出深い1年だったと思うので、昨年に引き続き「思い出アルバム」として、ここに掲載させていただきます。  

1月山田方谷NHK大河ドラマ化要請のためにNHK会長を訪問。

1月春節の台湾へ。旅行会社を訪ねてすぐ、その日のうちに香港へ。

台湾から香港へ、ハローキティジェットで移動。

香港中心部。すごいスピードで車が走り抜ける。超過密都市。

うわさに聞いていた香港の竹製の足場。囲いも無く、工事をしている。

香港ビクトリアピークからの眺め。さすが世界の観光地。様々な人種。

2月倉敷川河畔。大原家別邸「有隣荘」。通称、緑御殿。

2月西大寺観音院の裸祭。裸の男が境内をうねる。うごめく。

2月奈義現代美術館。大学の学友会のバスツアーで訪問。 

2月日生カキバーベキュー。アサヒビール京滋支社の皆さんと

3月大原美術館でILTM京都のプレツアーを迎えてのレセプション

3月閑谷学校。和気閑谷学校の生徒さんの論語学習を視察

3月玉野のチヌ。瀬戸内国際芸術祭の開幕。

3月東京。皇居前広場。外国人観光客がたくさん。

4月岡山駅からナルト列車出発。美作国建国1300年記念事業。

4月しまなみ海道。カキオコまちづくりの会の慰安旅行で四国へ。

4月台北での岡山観光プロモーションのラッピングバス。50台運行。

台北市内の行天宮。関羽を祭っているお宮。中はものすごい人。

台北の士林夜市。アジアの中でも最大級の夜市。臭豆腐の臭い強烈。

4月会議で広島に。原爆ドームには修学旅行生がいっぱい。

GW妻と長男の就職先の川之江市へ。川之江城から工場地域を臨む。

GW美咲町柵原の坑道跡を利用した農業を見学。夏の観光には最適。

GW兵庫県佐用町平福の町並み。水害跡もかなり回復。

5月鳥取市、砂の美術館。毎年展示替えの時には砂から作る。

5月津山。B−1グランプリ近畿中国四国支部大会。

5月札幌。北海道の岡山県人会に出席。桜もチューリップも同時満開。

7月総社市鬼ノ城。7世紀頃の朝鮮式山城。岡山平野が一望できる。 

8月岡山後楽園ナイトプレゼンテーション。大名の座敷遊び投扇興。

8月岡山後楽園の夜間ライトアップ幻想庭園。

8月岡山市うらじゃ踊り。20年目。すっかり夏の岡山の名物イベント。 

8月台北市内の百貨店で“桃太郎的故郷岡山”観光プロモーション。

8月台北101の80階で中華料理。生涯一番高い場所での食事。 

8月台湾・九?(きゅうふん)。かつて金の採掘で栄えた町。今や観光地。

8月高松市栗林公園。瀬戸内国際芸術祭で高松市を訪れた際立ち寄り。

9月東京代官山の蔦屋。本屋なのに、レストランやコンビニもある。

9月倉敷マスカット球場。県議会議員さんと県職員との親睦野球。

9月東京銀座。岩手県のアンテナショップ。NHK連ドラあまちゃん大人気。

10月ホテルオークラ東京。美作三湯の女将さんとグルグルソング共演。

10月岡山市備中高松城趾。黒田官兵衛らに水攻めをされた城跡。

10月赤穂市尾崎。350年以上続く頭人行列。今年は我が町内が当番。

10月タイ・バンコクでの観光プロモーション。桃・ぶどうを強くアピール。 

バンコク・ワットプラケオ(王宮)。往時の豊かさと文化水準の高さに感動。

バンコクの露天商。道端や空き地にいろんな店。食事も雑貨も土産物も。

11月神戸南京町。修学旅行シーズンでもあって大にぎわい。 

11月愛知県豊川市。豊川B−1グランプリ。2日目は大雨だった。 

11月大阪市天神橋筋商店街。連ドラ「ごちそうさん」の舞台。

12月赤穂義士祭の義士行列。あの松平健が、大石内蔵助役に。 

12月備前市日生町。BIZEN中南米美術館でゆるキャラたちと。 

 
おかやまわがまちじまん壁新聞コンクール 
観光の仕事をしていて少し残念に感じるのは、岡山県には、観光資源になる宝物がたくさんあるのに、どうも対外的に発信できていないというところです。
これは、岡山人の県民性として、あまりふるさと自慢をしないこと関係しているのではと思います。
これまで、観光は岡山の産業の中では重要と考えられていなかったかもしれませんが、今後、少子化・高齢化・人口減少が進む中で、地域の資源を活用しながら、人々が地元で生計を立てるための手段として、観光産業は大きな可能性を持っています。
将来にわたり、地域の資源を活用し、生き活きとした観光産業を生み出す原動力は、何よりも郷土を愛し、自慢する気持ちではないかと考えます。
当コンクールを企画するにあたって、将来の岡山県を担う子どもたちに、自分のふるさとを詳しく調べ、自慢し、愛する気持ちを少しでも育んでもらいたいと思いました。
関係者の皆様のお陰で、県内各地から315作品の応募があり、コンクールとしても充実したものになりましたが、何より、361名もの子どもたちが、壁新聞づくりをを通じてふるさと自慢をしてくれたことです。
いつの日か、このちいさなタネから、県内各地に花が咲き始めることを願っています。
壁新聞コンクールの作品集ホームページ(ここをクリック)
壁新聞コンクールの入選作品を基に製作したビデオ(ここをクリック)


FB版・赤穂線の車窓から
昨年4月、観光課2年目を記念して、とうとうフェイスブックを始めました。
そもそもそう言うことが好きで、一昨年までの10年来、カキオコHPの掲示板の管理人をしていたのですが、カキオコの会長を退任する際に、掲示板も閉じていたので、一年ぶりに「発信」を再開しました。
で、やはり「ハマって」しまい、“FB開始記念”に始めてしまったのが、毎朝の「赤穂線の車窓から」シリーズ。
播州赤穂駅から岡山駅まで、毎朝一駅毎に駅名板とエピソードを紹介するというもの。確か5月の連休明けから6月上旬にかけて、毎朝、駅名板の写真を撮ることと、エピソードネタを準備することが結構大変でした。
  

播州赤穂・ばんしゅうあこう
天和・てんわ
備前福河・びぜんふくかわ

寒河・そうご

日生・ひなせ

伊里・いり 

備前片上・びぜんかたかみ

西片上・にしかたかみ

伊部・いんべ

香登・かがと

長船・おさふね

邑久・おく 

大富・おおどみ

西大寺・さいだいじ

大多羅・おおだら

東岡山・ひがしおかやま

高島・たかしま

西川原・就実・にしがわらしゅうじつ 

岡山・おかやま
(全部載せると長いので、見本に岡山駅分を掲載します)

今日は、終点、岡山、オカヤマ。と、言いながら、毎朝私が乗っている635発の電車は三原(広島県三原市)行き。最後まで乗ったことはありませんが、ここから先の方が長いのです。線路は続くよどこまでも・・・
て、とうとう、岡山に着いてしまいましたが、今さら何を書けばいいのか?困りました。岡山駅は、新幹線、赤穂線、山陽本線、宇野線(瀬戸大橋線)、伯備 線、津山線、吉備線が乗り入れる全国屈指の拠点駅。1日当たりの乗車人員約6万人。こんな大型駅ではありますが、観光連盟のYさん情報では、今、駅前でホ タルが見られるそうです。岡山は、大きな河川が3本あり、水に恵まれています。街のど真ん中の岡山駅前にホタルがいる、そういう環境の街です。そういう事 を自慢しないのが、岡山の人の奥ゆかしさ。ちなみに、赤穂駅近くでホタルがいるという話しは聞いたことがありません。
で、岡山駅で駅名板を探しましたが、ホームに立つ立看板は見つかりません。全て吊り看板になっているようです。
と、言うことで、GW明けに思い付いて始めた「赤穂線の車窓から」は、一まず今日で終了します。皆様、私のつまらない趣味に、朝からお付き合いいただき、ありがとうございました。

 
長〜いあとがき

「赤穂線の車窓から」あとがき@
毎朝乗る電車は、播州赤穂駅が始発。ホームを歩き、列車に乗り込むとき、「あ〜、今日も旅が始まる」と思えるのは、始発駅の特権のような気がする。
休明けのその日も、そう思いながら、ホームを歩いていると、五月晴れの、爽やかな青空を背景に立つ、播州赤穂の駅名板に気がついた。赤穂線通勤を始めたのは、確か、1991年の2月か3月頃親父の病気が見つかり、慌てて岡山の家をたたんで、故郷の町に帰る事に。あれから、22年が過ぎて来たいろんなものが、移り変わって来た。
駅舎も車窓の風景も、自分も、他の乗客たちも
別に特別な旅ではないけど、でも、毎日通る駅は、 今日も旅をする僕たちを見送ってくれている。そう思うと、毎朝、一駅ずつの旅がしたくなった。とりあえず、こだわったのは、駅名板のその日の朝の生写真。これをうまく写せるかが、この企画の一番の苦労だった。Aに続く。 

「赤穂線の車窓から」あとがきA
今回の連載を始めて、改めて数えてみたところ、私の赤穂線通勤歴は、22年目でしたが、毎朝座る側は、はっきり決めていて、岡山に向かって、絶対に右側。要 するに北側。何故かと言うと、朝日がまぶしから。そのため、これまでの20余年は、朝の南側の風景を知らなかったのです。ちなみに、北側の風景は、どこで あれ、一瞬見ただけで、どこの場所か当てられます。さらに、ちなみに、車窓からの風景は、明らかに北側の方がきれいです。それは、順光の風景。特に、春先 の朝日を正面から受けた新緑の木立のある風景は美しい。で、ここまでは、Aの本題の前置きのはずだったのですが、長くなったので、Bに続く。

「赤穂線の車窓から」あとがきB
回大変だったのは、駅名板の撮影。当然ホームに立っているのですが、それが、単線の赤穂線では、右側と左側が駅によってバラバラ。しかも、車両との位置関 係もかなりバラツキがあります。原則、1ホームに2箇所あるので、毎朝2回の撮影チャンスがありますが、これが動く電車の窓から、看板の前を通過する一瞬 を、スマホのカメラで撮るというもの。始発の播州赤穂は停止してるので問題なかったのですが、いきなり2駅目の天和で、撮影失敗。仕方なく、ひらがな書き の縦長の駅名板の写真で、シノギました。と言うことがあったため、次の駅からは、まず前日までに駅名板の場所を確認しておき、乗車車両を調整したり、駅に着く前に心構えをしたり、休みの日に赤穂線に乗った時には、前撮りもしたり・・・でもでも、段々先の駅に行くに連れて、眠くなるなる。よく考えると、朝の乗車時間は、120分ほどではありますが、その7割は私の貴重な睡眠時間。いつも、日生の次の伊里まで新聞を読んで、それから岡山駅の手前まで、朝寝を楽しむのが、幸せなひと時。なのに、寝ていられないと言うことで、先の駅になるほど、睡魔との闘いが厳しくなりました。さらに、さらに先にいくと言うことは、岡山駅に近づくので、車内も混みますが、駅のホームに立つ人も格段に増えます。で、で、で、添付の写真1は動く列車から、睡魔にも何とか打ち勝ち、かつ、確実に駅名板を激写出来たハズなのにそこには、たくさん人がいたの図です。今回も長くなりましたが、要は、動いて、眠くて、人がいて、大変だったと言いたかったので、アリマス。Cに続く。

「赤穂線の車窓から」あとがきC
駅ごとのネタ。22年通勤してても、播州赤穂や日生は兎も角、その他の駅は、ほとんど通過点。この赤穂線シリーズのそもそものコンセプトは、の〜んびりした ローカル線の味わいを出したかったのですが、読者からの「ウンチク[漢字では薀蓄)」を求める声もあり、手持ちネタがない駅は困りました。で、頼りにしたのが地名辞典。赤穂線は難読な駅名も多々あるため、寒河、大多羅では、それから引用したネタにさせてもらいました。で、ここで、その時仕入れたのに、使わなかった「日生」について紹介します。
昔、 日生は、星村と呼ばれていたが、何度も火事があったので、星の上・下を分けて、日・生として、「ひなせ」と呼ばれたとか、昔は「ひなし(火無)」と呼ばれ ていたとか・・・と日生町史にありました。確かに、日生の一番古くからある家並は、山の上から眺めるとのような形であるともいわれますが、形=星と言 う概念は、そもそも、昔あっあのか、星村が火事が多いから、何で日と生に分けられなければならなかったのか
また、地名辞典には、日生は、日の出が美しかったので、日生と書いて、「ひなす」が「ひなせ」に転じたと言う説がある、とありました。
と、いろいろ書かれていましたが、日生町史には、諸説あるが「後世の考証を望むこととする」とありました。まあ、いろいろあるさってところでしょうか。Dにつづく。

 「赤穂線の車窓から」あとがきD
通勤電車の忘れ物。酔っ払い、かつ、遠距離通勤であれば、当たり前とは言え特に多いのは、マフラーと手袋とコート。ひと冬に一つずつなら、まあいいところ。冬場は、電車の中は、結構暖かくて、コートやマフラー等の防寒着は脱ぐのですが、気持ちよく眠っていると忘れます。22年余も通っていると、当然色んなものを忘れているように思うかもしれませんが、案外大したものは忘れていません。財布は、2度ほどやりましたが、いずれも出て来ましたし、メガネは長〜い話ですが、出てきました。
の長〜い話ですが、昨年の秋、ある人たちの結婚お祝いパーティーをした美味しいワインの店が飲み放題だったので、うれしくなって飲み過ぎて、そのまま岡山 から電車に乗って、気がつくと網干。乗り越した!と思って飛び降りたら、何となく、前がよく見えないで、顔に手をやると???結局、気がついた時には、 僕は汽車の外、メガネは汽車の中状態
その日、すぐに網干駅で手続きをして、出て来るだろうと思っていたのに、無しのつぶて。実はこのメガネ、買ったばかりの遠近両用。やっと目が慣れてきたところだったのに仕方がないので、一週間後に同じメガネ屋さんで、同じ型の物を購入しました。
れから、2カ月後。今度は、マフラーを忘れました。今回は、昼間しかも岡山駅行きの電車だったので、岡山駅の忘れ物センターに行ったら、窓口の人がパソコ ンで検索してくれて、すぐに見つかりました。余に簡単だったので、ダメもとで落としたメガネ調べてもらうと、確かにその日一つメガネが上がっている。特徴 は?と聞かれたので、買い替えた同じメガネの記号を読み上げると、ビンゴ
と言うことで、何とか年内に、帰って来ました。
で、こんなことを書いている私は、一昨日も名刺入れを落とし、今日岡山駅の忘れ物センターで返してもらったところであります。線路は続くよどこまでも♪忘れ物も続くよいつまでも
皆さん、電車の中の忘れ物にはくれぐれもご注意ください。また、忘れた際には、諦めず、忘れ物センターへお問い合わせください。

 
 
グルグルおかやま温泉めぐり
昨年12月15日。岡山県の県北にある美作三湯の温泉地を、日生カキオコ合唱団(別名、岡山グルグル合唱団)&ももっち部と撮影協力隊のメンバー13名が、グルグルまわって、各温泉の女将さんやまちの方たちと「グルグルおかやま温泉めぐり」となぜか?ジェンカの動画撮影をしました。
そのうちYOUTUBEにアップする予定です。どうぞお楽しみに。 
 
湯郷温泉平安時代 円仁法師が発見者じゃが それよりも先に白鷺が 温泉治療をしてたんじゃ
〜♪グルグル♪〜

 
 奥津温泉美人の湯 美白成分自慢のお湯じゃ 美人になったその後は 足踏み洗濯してみんちゃい
〜♪グルグル♪〜
   
 湯原の砂湯はダムの下 川の中の温泉じゃけど ぐるぐるタオルを巻いて入れる 西の横綱露天風呂
〜♪グルグル♪〜



赤穂観光マスコットキャラクター
「赤穂陣たくん」

2年前に市内の知り合いから、陣たくんの唄を作ってみて、と言われて、軽い気持ちで作ってみたのですが、昨夏頃から、この歌のダンスが出来たり、老人の健康体操が出来たり、作者が知らないところで、じわじわと露出が増えています。
ある時、妻が市内の土産物店の前を歩いていたら、急に聞き覚えのある声の歌が流れてきたと思ったら、あなたの歌やった・・・それもくり返しで・・・とのようなことです。
ちなみに、この陣たくんのデザインは、忠臣蔵の討ち入りで使われた陣太鼓が元になっています。
この歌、YOUTUBEにもアップされています。よろしければ・・・ クリックしてみてください。

8月坂越たこ祭で陣たくんダンスが披露されました。


「打ち鳴らせ心の中の陣太鼓〜播州赤穂陣たくんの唄〜」

                                                         詞曲 江端恭臣120114

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

心の太鼓を打ち鳴らせば どんどん勇気がわいてくる

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

ドドドン ドドドン ドンデンドン みんなが ほら 笑顔になれる

 

300年あまり前の 吉良邸討ち入り 赤穂義士

大石内蔵助が打ち鳴らした 山鹿流の陣太鼓

本当は逃げ出したい気持ちもあるんや 本当は離れたくない人もいるんや

でも大事なことをやり遂げるには 勇気を持って立ち上がらんと

あかへんで(あかへんで)あかへんで(あかへんで)

 

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

心の太鼓を打ち鳴らせば どんどん勇気がわいてくる

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

ドドドン ドドドン ドンデンドン みんなが ほら 笑顔になれる

 

300年後の今は しあわせな時代と言うけど

この町のため 世界のため 打ち鳴らそう陣太鼓

本当はつらい事もいっぱいあるんや 本当は楽しいことだけしときたいんや

でも平和な時代を続けて行くには 力を合わせて頑張らへんと

あかへんで(あかへんで)あかへんで(あかへんで)

 

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

心の太鼓を打ち鳴らせば どんどん勇気がわいてくる

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

ドドドン ドドドン ドンデンドン みんなが ほら 笑顔になれる

 

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

心の太鼓を打ち鳴らせば どんどん勇気がわいてくる

ジン ジン ジン ジン 陣たくん  ジン ジン ジン ジン 陣たくん

ドドドン ドドドン ドンデンドン みんなが ほら 笑顔になれる 
 
2013年のエバシ園芸通信 

へびはニョロニョロ前に進む。絶対うしろに戻らない。そんな巳年でありたい。
 
2012年12月31日収穫の紅白のカブ
 
 
2013年のおせち料理

 
毎年恒例の干支の仕掛け展示(楢原神社)
 
年始御祝いの獅子舞
広島県福山市新市町金名地区にて 

 
●晴天の霹靂(へきれき)ってこんなことか!
  人事異動って「ひとごと」と読むのだろうと思っていたのですが・・・2012年3月下旬、異動の内示(事前の連絡表)を見て超ビックリ!建築技術職の私が観光担当に異動・・・えっ、これって、どういうこと?なんでこうなるの??・・・実は原因は明白。これまで10年余り、日生カキオコのまちづくり(とうか勝手な応援)を仲間たちとやってきて、とうとう昨年の姫路B-1グランプリでは第9位になってしまったことで、幹部に覚えられたことしか考えられない・・・そんなことは、どうでもいいというか、心配なのは、これまで楽しくやって来た「カキオコ活動」がどうなるのかということ・・・でも、さすがに、仕事で「観光」をやる以上、カキオコだけ応援するのはマズいでしょうという仲間たちの助言もあり、3月末をもって、カキオコの「会長」を退任し、「元祖会長(活動休止中)」に・・・その代わり、目が回るような「観光仕事」の毎日が始まりました。「ひとごと」ではなく、自分にとって全くシャレにならない「ジブンゴト」で、テンパリ続きの9ヶ月ではありましたが、人生の勉強という意味では、濃密な日々になりました・・・そんな9ヶ月の旅の日々の一端を紹介します。

5月シンガポール。マーライオンの向こうはベイサンズホテル。

シンガポールの目抜き通り。とてもきれいに整備されています。

6月ソウル。ロッテホテルの高層階から市街地を望む。

韓国焼き肉。

ソウル、チョンゲジョンの夜景。

7月岡山空港。香港からのお客さんをお出迎えするももっち、うらっち。
6月鳥取B−1グランプリ。ステージを下から眺めるのは、少し寂しい。  7月熊本での岡山観光展。くまもんも応援出演。  7月上海浦東空港。シンガポール便にトランジット。 
7月シンガポール。岡山観光説明会を開催。  シンガポールチャイナタウンにあるヒンドゥー教の寺院。  8月岡山。うらじゃまつり。審査員をしました。 
8月瀬戸内市長船刀剣博物館。エヴァンゲリオン展でものすごい人。 
8月研修に来た大学生の観光ワークショップ。 
8月宇野港から直島へ。瀬戸内国際芸術祭の会場を視察。 
直島の旅客船ターミナルの近くにあるオブジェ。  9月岡山大学附属中学。岡山の観光地を盛り込んだ替え歌づくり。  10月水戸。水戸岡鋭治氏の展覧会を見に行きました。 
9月津山駅扇形車庫。国内でも珍しい転車台が残っています。  10月大阪。台湾101年国慶酒会。 ものすごい人に驚きました。 10月岡山市京橋朝市。年に一度、全国の朝市屋台が集まります。 
10月岡山市秋の桃太郎まつり。八丈島の樫立踊りの実演。  10月備前市伊部。備前焼まつり。
 
10月北九州市B−1グランプリの会場。ものすごい人・・・ 
日生は第5位、津山は第7位で、岡山県勢は上位入賞。  10月備前市閑谷学校。年に一度孔子をたたえる釈菜(せきさい)に出席  この日は、孔子廟の中にある孔子像が開帳される。 
 
10月瀬戸内クルーズ。
牛窓から姫路までの船旅。
黄ニラ寿司。黄ニラのほんのりとした甘味が特徴。  11月閑谷学校楷の木ライトアップ。オレンジと黄色の紅葉が美しい。
11月八丈島。宇喜多秀家公の座像。秀家公は岡山城を築城した人。 
本場八丈島での樫立踊り。流人文化が感じられる。 
 
11月新見A級グルメフェスタ。
千屋牛の串焼き、最高!
11月備前市伊部。おかやまご当地グルメフェスタin備前。1日目は雨。  同左会場で、ご当地グルメ壁新聞コンクールの表彰式もありました。  11月高梁市。インディアントマト焼きそばをご当地で食べる。 
11月大阪。岡山の観光説明会。
 
同左の後、交流会で、美作三湯の女将さんとグルグル温泉ソングでPR。  12月岡山市。岡山駅前モモタロウファンタジー。イルミネーション。

 
●草との「果てしない」闘い・・・ 
 草刈り機で1時間半の格闘。でも、刈った後の草を集めるのが重労働。
 で、3週間もすると、また左の状態に戻ります。
 で、刈っては伸びて、刈っては伸びて・・・を年に3回ほどやります。

 草刈り前

 草刈り後

2012年のエバシ園芸通信

祈る平穏無事
謹んで新年のごあいさつを申し上げます。 
 
エバシ宅の裏庭で11人参加で餅つき(12月30日)

今年は、3世代でおせちをつくりました。 (完成1月1日午前1時)

年末に餅つきをして、おせちをつくって、いつもと同じような正月が来ました。
こういうのが、幸せということかなあ・・・

●恐るべき近鉄帽子パワー(2)
 実は、話せば長いのですが・・・一昨年の夏頃、日生町観光協会に一本の電話があり、「カキオコの会長がいつも近鉄帽子をかぶってよくテレビに出ているが、自分は大の近鉄ファンなので一度話がしたいので連絡先を教えてほしい。」と電話番号と名前と一緒に伝言がありました。で、ある日私が観光協会へ行くと、その伝言を渡されたので、早速電話をしてみると・・・「いや〜あ、話がしたかったんや。ワシは大の近鉄ファンで、あんたがずっと帽子をかぶっとるのを見て、一度会いたいと思うてな・・・赤穂まで会いに行くから一緒に飲んで近鉄のことを話したい・・・あんたにあげたいモノもあるんや・・・」と電話の向こうでまくし立てるオジサン。「じゃあ、暇になったら是非会いましょう。赤穂で飲みましょう!」と私。
 その後、一昨年の秋からの、B−1グランプリ出展に向けた取り組みやその他の用事で、私の方はほとんどの土曜日の予定が詰まってしまって、気になりながらもなかなか連絡が出来ませんでした。
 5月の姫路B−1グランプリで第4位入賞を果たしたあと、久しぶりにオジサンから電話があり、「そろそろ暇になったのでは?」とのこと。で、最初に電話をもらってから約1年、とうとう2011年の7月のある日に会うことに。
 オジサンは、瀬戸内市長船町に在住でリタイアしていて一人暮らしのMさん。この日(土曜日)に会うことが決まって、わざわざ私に譲りたいという「近鉄グッズ」を前週の火曜日に日生町観光協会に持ってきてくれていました。
 オジサンがくれたのは、近鉄バッファローズのマーク入りの近鉄百貨店の紙袋に、近鉄帽子、タオル、Tシャツ、小銭入れ、カード入れ、キーホルダー、そして近鉄マーク入りのコップセットまで、たくさんの近鉄グッズ。よくここまで集めていたものだと感心しました。
 で、赤穂駅でお互い近鉄帽子をかぶっての初対面。オジサンは「いやいや、あいたかったんや〜」といって、がっちり握手。私の知り合の店に直行、開店直後の5時10分に入店。お互いが近鉄ファンになったきっかけ、近鉄野球の思い出、家族のこと、今の暮らし、カキオコのこと等々、話が尽きることなく、オジサンにもらった近鉄マーク入りコップで何度も乾杯・・・オジサンは今夜はうれしいと言って、昭和30年代に近鉄で投手をしていたという知り合いに電話をしたり、最後は他のお客さんも交えて記念撮影をしたり・・・
 結局この店の閉店までいて、さらにもう一軒、まさしく「ザ・近鉄バッファローズナイトin赤穂」の実現となりました。
 いやはや、近鉄ファンは熱い!実は、カキオコ活動を始めて近鉄ファンの人から近鉄グッズをもらったのは2回目。皆、一度会っただけで昔からの知り合いのように盛り上がります。そして、自分で持っているより、あなたにもらってほしい言って近鉄グッズを託されます。いつの日か、カキオコ&近鉄グッズミュージアムを作りたくなりました。
 近鉄ファンの皆さんに乾杯!

バファローズグラスで乾杯!

おじさんからもらった近鉄グッズ

小銭入れと定期入れ

 グラスセット

キーホルダー

この日名古屋から卒論のために
カキオコを調べにきた学生さんと 
 
●尾崎のまちづくり・まちなみ部会
 私の住んでいる町・赤穂市尾崎地区は、千種川の河口に近い場所にある忠臣蔵で有名な「赤穂の塩」の産地の町で、私の小学生の頃までは、集落の周辺には広大な塩田地帯が広がっていました。現在、塩田跡は住宅地や公園等に整備されていますが、もとの集落部分は、昔塩田労働者や農民が住んでいた町で、非常に密集した地域になっています。
 この地域では、阪神大震災の教訓から、平成11年から木造住宅の密集地域の防災事業として、密集地域の中心部に9m巾の道路を通す事業を赤穂市が進めています。
 この事業を進めるために、地元住民の組織として「尾崎のまちを考える会」が当初から設立されて、計画策定から事業実施について、地元の意見と集約する役割を果たしています。この事業をはじめて10年以上が経過し、あと数年で集落中央の道路が貫通する見込みとなり、道路完成後のまちなみについて検討する必要があるということから、2年前(2009年)の秋から、「考える会」の中に「まちなみ部会」が設置され、私が部長を務めています。
 「まちなみ部会」では、一昨年(2010年)の2月に尾崎小学校・PTAと共同で、昭和30年代に「尾崎銀座」として栄えたまちの中心部で、昔の商店街を再現し、子どもたちが模擬紙幣で買い物をする「尾崎銀座ウォークラリー」を開催しました。2月6日という大変寒い時期でしたが、昔商店があった場所に机を並べて、自治会、老人会の皆さんが店主役をし、全校生徒が買い物にやって来るという総勢850人参加の大イベントとなり、数時間ですが、昔の商店街のにぎわいが再現されました。
 昨年(2010年度)は、この地域の今後のまちなみ整備や道路整備について、全世帯(約2200戸)を対象としたアンケートを行い、その結果として、低層住宅を中心とした静かなまちにしたいという意見が多く、そのために、何らかのルールが必要という意見が多くありました。
 そうした流れで、今年度(2011年度)から、3年かけて、尾崎地区まちづくりルール策定事業を市が予算化して、「まちなみ部会」が中心となって、案を作成していくことになりました。7月に「まち歩きによるタウンチェック」、9月に「講師を招いた学習会」などをしたうえで、現在、住民が自主的に守るためのルールとして「尾崎のまち・みんなのルール10カ条(仮称)」を3月末までにまとめる予定で進んでいます。
 私個人の希望としては、将来的には、このルールのうち、「建物の高さ制限」「用途規制」については、都市計画法に基づく地区計画として決定し、将来にわたって、尾崎地区が住みよい町になるための法的な裏付けをしておきたいと思っています。
 
2010.2.6尾崎銀座ウォークラリー
 
町の人がお店屋さんの役
 
朝日新聞の記事(↑クリック)
 
2011.2.26尼崎市の事例の勉強会
 
2011.7.10タウンチェック後の検討会
 
2011.9.27学習会
 
 
●タイからパムちゃんがやって来た  
 一番下の高2の娘が、7月に姉妹縁組をしているタイの高校へ約1週間研修に行かせてもらい、同学年のパムちゃん宅にホームステイをさせてもらいました。そのご縁で、10月1〜9日まで我が家にタイからパムちゃんがやって来ました。
 パムちゃんの高校は、タイの「東大附属高校」と言われるような超エリート高で、パムちゃんのお父さんは、20数年前に日本の大学に留学した経験があり、現在は日本と取引をする会社を経営されていて、日本語がペラペラ。娘のパムちゃんも、英語はペラペラで、日本語も簡単な会話が出来、簡単な漢字が書けるほどの実力。言葉が通じるだろうかと心配していた我が家の家族でしたが、初対面から、とても可愛い笑顔と日本語で挨拶をしてくれて、ホッとしました。
 娘によると、パムちゃんの家は5階建てのビルの4階と5階で、毎日外食、学校へは運転手が車で送ってくれたとのことで、同じようには「絶対無理」なので、我が家流の「手づくりのおもてなし」をさせてもらいました。
 ちょうど、来日した日とその次の日が、「おかやまB級グルメフェスタin真庭」の開催中だったので、早速2日目のイベントにパムちゃんと娘を連れて行き、カキオコTシャツを着て、ステージ出演をしてもらったり、ひるぜん高原でのドライブや温泉などを楽しみました。
 その後、一週間。毎晩、妻や私の母が、あれこれ地元の手料理を作りましたが、パムちゃんは、いろんな話しをしながらどれも喜んで食べてくれました。食後は、家族にピアノの弾き語りも聴かせてくれて、その上手さに驚きました。ちなみに、ウクレレも名手で、妹と2名でウクレレを演奏しながらデュエットをする様子がYOUTUBEにアップされていて、なんと6万件以上のアクセスがあります。
 そう言えば、食事中に、「日本のどこに行ったことがありますか?」と聞くと、「札幌、東京、大阪、広島、福岡」と答えて、それを聞いたうちの娘が「私よりも、日本でもたくさん行っている・・・」と嘆いた場面も。お嬢様育ちのパムちゃんですが、とても気さくで、気遣いが出来て、頭が良くて、来年からはアメリカに渡って、高校3年生と大学時代を過ごす計画だとか。さすが、タイの東大附属高校生。将来どんな人になるのかとても楽しみです。
 と言うことで、最初は心配していましたが、楽しい1週間はあっという間に過ぎました。
 他の生徒たちは、そのまま帰国しましたが、タイの学校が秋休み期間中だったので、パムちゃんは、両親と妹が姫路まで迎えに来て、神戸、大阪、信州、東京等を観光して帰りました。ちょうど、その頃から、タイの水害が始まり、結局11月中旬頃にピークが来ました。
 メールで、安否を問い合わせたところ、家の周りに壁を作って浸水を防ぐ準備をしている等の返事がありましたが、結局直接的な被害はなかったようです。ただ、10月下旬から始まる予定だった後期の授業が、12月上旬から始まったため、土曜日も学校があって忙しいとの返事がありました。とにかく無事で安心しました。
 パムちゃん、いい思い出をありがとう。
  
 
たくさんのお土産と一緒に
(パム、写真中央)
 
日生カキオコ合唱団とステージ出演
(パム左から2人目。右から2人目
は岡山県の石井県知事)
 
ひるぜん高原にて(パム左側)
 
我が家での夕食(この日は鍋)
 
浴衣をプレゼント
 
姫路駅でパムの家族と
 
●また明日から頑張ろう 
 東日本大震災の悲惨な状況に触れ、自分自身もとても辛い時期がありました。そんな時、ふと口を付いてできた歌。5月の「近畿中国四国B−1グランプリin姫路」や11月の「里庄町産業文化祭」のステージでも披露させてもらいました。

     また明日から頑張ろう〜自分への応援歌〜

                  詞曲 江端恭臣 110503

また明日から頑張ろう また明日から頑張ろう
また明日から 明日から 明日から 頑張ろう

悲しい気持ちに包まれて 何も出来なくなった夜には
ジタバタしてても仕方ないから 布団をかぶって眠ってしまおう
また明日から頑張ろう また明日から頑張ろう
また明日から 明日から 明日から 頑張ろう

長い冬も 降りしきる雨も いつまでも続くハズがないから
きっとよくなることを信じて いつか笑える時がくるから

また明日から頑張ろう また明日から頑張ろう
また明日から 明日から 明日から 頑張ろう


また明日から頑張ろう また明日から頑張ろう
また明日から 明日から 明日から 頑張ろう

 2011年のエバシ園芸通信
寒中お見舞い申しあげます
     
 金時ニンジン長さ31cm  娘たちが作ったおせち  聖護院かぶ

2010年6月に義父が亡くなりました。
三十五日の法要のあとに歌を作りました。

 
三十五日
                  詞曲 江端恭臣 100725
昨日までの雨がやんで 青い空が広がった 
あなたと暮らしたこの家に 今年も夏が訪れた
幼い日に親と死に別れ 祖父の手一つで育てられ
この家を守ることだけが 生きがいの人だった
一緒になって50と4年 二人の娘を育て上げ
六人もの孫に恵まれて これからだったのに
7回泣いて5回笑って 三十五日が過ぎました
7回泣いて5回笑って 三十五日が過ぎました
じいちゃん今はどこにいる 夜空の月に聞いてみた
いつもおまえら3人を やさしく見守ってくりょーる
僕ら兄弟妹3人は 母さん仕事をしてたから   
じいちゃんとばあちゃんに育てられ 大きくなったんじゃ
人前でのあいさつ好きで 仁丹のにおいを思い出す
僕の嫁さんや子どもたちに 会わせてあげたかった
7回呼んで5回夢に出て 三十五日が過ぎました
7回呼んで5回夢に出て 三十五日が過ぎました
今でもはっきり浮かびます 益子と結婚させてくださいと
言ったら それはちょっと待て 君の親を連れてこい
あの日から20年余りたち あなたの娘は父に似て
負けず嫌いの頑固者 でも頼もしいおかあちゃん
姉さん夫婦は田んぼの水を 毎日何度も見回って
お義父さんが残した家と田を 守ってくれています
7回酒飲んで5回酔いつぶれ 三十五日が過ぎました
7回酒飲んで5回酔いつぶれ 三十五日が過ぎました
2010年のエバシ園芸通信
迎春
鏡もち 祝い箸袋(母の手書き) 今年のおせち(嫁姑合作)

今年もよろしくお願いします。わざわざご覧いただいてありがとうございます。
年末恒例の餅つき
我が家では、毎年年末の30日に一族16名が集まって餅つき大会をします。
今年は受験生が4名、大人2名が欠席でしたが、選手層が厚いため、ほとんど我々大人が手出しをすることもなく、12臼(ウス)を大学生・高校生・小学生がつき上げてくれました。もちろん、上の写真のお鏡も手作りです。
もちつきの後は、これまた恒例のおばあちゃん(私たちの母親)の誕生日会です。本当は12月29日生まれなのですが、毎年この日に一族でお祝いをします。花束はいつもの通りブルー・紫系でまとめています。
暮れの収穫 今年は暖冬で、しかも11月に雨が良く降ったせいか、野菜の生育がとてもよかったです。
上段右は水菜。
下段右からダイコン、ターサイ、雪白体菜。
「ダイコン足」の語源がわかるような・・・
闘うバリアフリー・中嶋道雄の半生
一昨年から(財)福武教育文化振興財団の助成を受けて、バリアフリーのまちづくり仲間と一緒に岡山のバリアフリー活動家・中嶋道雄氏の半生記の作成に取り組んでおり、昨年5月に完成しました。
 中嶋道雄氏は76才。1974(昭和4)年から今日までの35年間、岡山県内の障がい者とともに、障がい者・高齢者が住みよい福祉のまちづくりに向けてボランティアひと筋に取り組んできました。その活動姿勢は、「とにかく一直線で妥協しない」「相手が誰であろうとぶつかっていく」やり方で、今なお現役で世の中のバリアフリーに向けて闘っています。私自身、中嶋氏とは立場は違うものの、1990年代後半から多くの面で彼や彼の仲間から協力を受けながら岡山の福祉のまちづくりに取り組んできました。その過程で、私の父親と同世代の彼がどういう経緯でこうなったのか、なぜそんなに一途にやってきたのか、やってこられたのか疑問に思ったことから、今回の半生記をまとめることにしました。ページを超える冊子を執筆するのは修士論文以来のことであり、仕事とカキオコ活動に加えての慣れない執筆作業で難儀をしましたが、何とか完成できました。
 また、7月にはこの冊子の完成祝いと中嶋さんの喜寿の祝いを兼ねてパーティをしました。中嶋さんの友人や仲間たち等合計60名余りもの参加があり、障がい者も健常者も一緒に大変盛り上がりました。
規格:A5版 133P
価格:
1冊500円
発行:2009年3月
作成:おかやまバリアフリーワークショップ
印刷:NPO法人たびだちの会 たびだち作業所
販売窓口:NPO法人まちづくり推進機構岡山
【うぶすな岡山】
7000813 岡山市北区石関町21
TEL086803-3361 FAX086803-3362
E-mail:info@ubusuna.jp 
http://www.ubusuna.jp/
本書について、2009年7月16日付山陽新聞で紹介されたほか、同年7〜8月、RSKラジオ(日曜日朝7時30分〜8時)「人生スゴロク“よもや万年堂”」に4週連続で特集されました。
住宅改造
妻の実家の父親が難病になり住宅改造が必要となりました。
昨年8〜9月に工事を行い、10月からは義父は自宅に戻って生活をしています。
車いすが入れるように段差解消機を設置しました。 玄関と上がりかまちと廊下の段差をそれぞれ半分になるように段を付けて、手すりも付けました。(これは義母のため) 寝室にする部屋は、床を30cm程高くして、他の部屋との段差解消をし、天井を高くするため、梁を出しました。階段の下は物置にしました。
近鉄帽子の恐るべきパワー
 私は、2004年に消滅した近鉄バッファローズのファンで、それ以来どこの球団も応援する気にならず、やり場のない想いを「カキオコ活動」で晴らそうと、カキオコでマスコミに出る時やイベントのステージ衣装に3色の近鉄帽子をかぶっています。
2009年10月24〜25日、国民文化祭しずおか2009の一環でカキオコが焼津市「海の食博」に招待され、我々一行が浜松駅で電車の乗り換えをする際のこと。「あなた近鉄ファンなの?」と妙齢なご婦人に声をかけられ、「私、ローズ選手の日本の母よ」と話が始まり、結局一緒の電車に乗って掛川までの約1時間、楽しく懐かしいバッファローズの思い出話をしました。焼津から帰ってみると、「ローズ選手の母」から段ボール箱が届いており、中からローズ、中村紀洋、梨田監督のサイン入りTシャツやボールなど、お宝グッズがたくさん出てきました。いやはや近鉄帽子のパワーはすごい!

浜松駅でローズの母との運命の出会い

焼津海の食博にてカキオコメンバーと

真夜中の熱唱

段ボールの中身

首振り人形、Tシャツ、サイン、カード

近鉄当時のローズと梨田監督のサイン
2009年のエバシ園芸通信
謹賀新年
今年もよろしくお願いします。
(1月1日9時頃、兵庫県一低い山(高さ19m)唐船山から初日を望む)
 12月29日から(今のところ1月2日まで)4回、次女(14歳)とウオーキングをしています。
 中2の次女はダイエットマニア(腹筋を割れさすのが目標とか)で、脂肪を燃焼する身体を作るには、軽いジョギングかウオーキングが最適と調べたらしく、12月29日の夜に突然歩きたくなったらしく、適当な相手を探しましたが、姉は帰省したにもかかわらず夜遊びの毎日で不在、兄は受験勉強(?)、母親はコタツで寝ていて返事もしないため、仕方なく「オヤジ」を誘いました。「オヤジ」は娘と歩くチャンスを逃すまいと、一緒に歩くことにしました。最初2日(29日と30日)は深夜のウオーキング(約4Km。50分)でしたが、街灯の少ない海浜公園の方に行くと、冬の空に天の川が浮かび上がりとてもきれいでした。が川の対岸にスーパー銭湯があり、そちらの方向に歩くと、まぶしくて星が見えにくくなりました。
 31日は、次女も友達の家でカウントダウンパーティをすると言って出かけて、帰ってきたのが1日の午前2時半。その数時間後の午前7時半頃、根性で起き出して、「オヤジ」をウオーキングに誘いました。と言うのも、前夜友達の家でスナック菓子を食べ過ぎた挙げ句、深夜に初詣に行って唐揚げを食べたので、おせちの前に「脂肪を燃焼」しなければならない気分になったようです。
 と言うことで、1日の8時過ぎにウオーキングに唐船山に向かって歩きました。私の母親(73才)も自転車で参加し、約20分で唐船山到着。一気に登頂を果たすと目の前には、初日が輝き、穏やかな海原と青い空が一面に広がりました。
 この後、オヤジと娘は海浜公園の外側の海岸線をぐるっと廻り、約1時間で5kmを歩いて家に帰りました。が、唐船山の山頂で別れた母親はまだ帰っておらず、10時を過ぎても帰ってこないため、元旦の朝祝いを始められない状況に。
 もしかすると海でも転落したのかと、結局車で捜索に行くことに・・・・・唐船山の麓まで行くと、さっき止めておいた自転車がそのままの状態であり、これはやはり警察に連絡か?と思った瞬間、浜辺の方から棒きれを杖にした老婆が現れました。なんでも、我々がまた戻ってくると思って、ブラブラしながら俳句を作っていたとのことでした。
 と言うことで、年始早々素晴らしい景色を楽しみ、運動も行い、心配もし、「こんな感じ」で年が明けました、とさ。
 ちなみに、唐船山の山頂付近に数年前、唐船組(唐船山の環境を守る会)の仲間と一緒に植えた松が私の背丈ほどに育っていました。1日は、カメラを持っていっていなかったので、2日のウオーキングでデジカメを持って行って改めて撮影をしました。改めて、この辺りを歩いてみると、自然の浜辺もあり、遊歩道もあり、本当に歩くコースに恵まれた素晴らしい環境だと思いました。(赤穂児童合唱団が歌う「みんなで歩こう赤穂〜唐船山を目指して〜」の作者だから言うのではありませんが・・・)下の写真は、1月2日に撮影したものです。
「2009年我が家のおせちと園芸作物」
今年も、我が家産の野菜がおせちに「参加」しました。

おせちの上空写真(中央上側が、煮しめコーナー)
煮しめは母親(73才)作。

煮しめコーナーの里芋、ニンジン、ゴボウとその左隣の
栗きんとんのサツマイモは我が家産です。

菊花ダイコンも我が家のダイコンとハッサクの皮で
出来ています。これもは母親(73才)作

白菜は、無農薬で栽培すると植え付けが遅くなるので、
このように、緑の菜っぱになります
べんちあーとあこう2008出展作品「あこうAやろう・2008」
2008.10.25〜11.3
今年のテーマは「舞・ダンス」
・・・街角のベンチでバルーン人形が風で踊るイメージ・・・
・・・しかし、バルーンの寿命は長くて半日・・・毎晩、新しい人形を作る羽目に・・・
・・・それはそれで、結構ハマってしまいました・・・
・・・小さな子どもたちは、バルーン人形とは気が付かず、風船があるだけで喜んでくれました・・・(苦笑)
毎日、「あこうAやろう」の廻りに日替わりのバルーン人形が登場しました。
土曜日には、仲間のパン屋さんがべんちあーとを見に来た人にパンを無料で振る舞ってくれました。
と言うことで、この時ばかりは、ベンチの回りは「大人気」でした。
おさきまちづくりアイディア会議
2008.10.26
 昨秋、自分が生まれ育った町・赤穂市尾崎地区のまちづくりアイディア会議(ワークショップ)の企画運営をさせてもらいました。小学生から80歳代の方まで約60名が、神社(赤穂八幡宮)の境内に集まり、3グループに分かれて、この町の将来について意見を出し合い、語り合いました。小・中・高生からしっかりした意見や斬新なアイディアが出され、大人からも熱のこもった意見が出されて、みんな一緒のテーブルで話し合いながらまとめていったことで、みんなの心の中に、まちづくりの種がまかれたのではと思います。

最初、みんなで集まって、進め方の説明をしました。写真は、尾崎の歴史をまとめた絵マップを説明している様子。

まずは、グループごとにまち歩きに出かけましたが、その前に参加者全員で記念撮影をしました。

郷土史研究家のおじさんの話は、知らないことがいっぱいでした。

お宮に戻って、3つの班に分かれてアイディアを出し合い、意見をまとめていきました。

グループ毎の発表の様子。この班は、小学生4人で発表してくれました。

こちらの班は、高校生と中学生が発表してくれました。
以上、2009年のエバシ園芸通信でした。
園芸が、たまに演芸になったりしますが、今年も1年楽しく元気に過ごせたらと思います。
こんな「自己満足HP」にお付き合いいただきありがとうございました。
2008年エバシ園芸通信
賀正
今年もよろしくお願いします。
蕪(カブ)比べ
昨冬(2006.12)の出来映え この冬(2007.12)の出来映え
 昨年に比べて、聖護院カブは一回り大きく出来ました。
 暖冬の影響でしょうか?それとも、腕が上がったのでしょうか?
 このカブは、千枚漬けになって、おせち料理の重箱を飾ります。
タケノコイモとサトイモ


左側がタケノコイモ、右側がサトイモ(赤芽)
タケノコイモは口の中でとろけるような食感です。
サトイモは歯ごたえがあり、両方のイモを一緒にした煮しめが
おせちに入っていると、見た目では見分けが着かず、
口の中でどちらのイモか見分けるのが楽しみです。
べんちあーとあこう2007出展作品 「風のハープ」
(コンセプト)
まちかどのベンチは小さな船。ヨットの帆を立てると、瀬戸内のやさしい風が奏でるハープのメロディに乗って、まちの中をスイスイと走り出す。
コンセプトはともかくとして、通りがかりの子どもたちが、必ず音を奏でて行きました。見ていて、「作戦通り」とうれしくなりました。
イベント後は行き場がなくて、うちの家の廊下にあって、私がたまに奏でています・・・・
演奏風景1 演奏風景2
子どもたちが作った歓迎看板 私の?十年ぶりの粘土作品
こちらは昨年の作品を化粧直しした
「あこうAやろう・2007」

私の作品を含め12作品が「赤穂国際音楽祭」開催中の
2007年10月1日〜8日、赤穂の町の中心部に並びました。
べんちあーとあこう2007

2007年の園芸通信
2007年、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

ご覧いただいてありがとうございます。

今、我が家の畑で咲き誇る蝋梅(ろうばい)です。
とても、いいにおいがします。

唐船浜からの初日の出(2007.1.1)撮影:Hide雷蔵
薄曇りでしたが、島のわずか上は雲がなくて、大きな太陽が見えました。

アナゴの入った雑煮。青菜は自家製です。

今年のおせち
(大根、ゴボウ、サツマイモ、カブ、ほうれん草、ブロッコリーは自家製)





あこうAやろう’2007新年バージョン’

 今年は、私の地元・兵庫県が国体開催地で、10月はじめに赤穂市でも国体競技が行われましたが、この期間中に市内も物好きな人たちが集まって、「ベンチアートあこう2006」という催しを行いました。
 
このベンチアートは赤穂の中心市街地の街角にあるベンチを傷を付けずに如何にしてアートにするかという課題で、国体で市内に来られる方々に楽しんでもらおうという企画でした。
 私は趣味で木工をしている従兄弟(村下泰清)と組んで、表題の「あこうA(エー)やろう」を出品しました。A・K・Oの文字が手すりになっていて、誰もが立ち座りの動作がしやすくなるように、寸法や取っ手などをデザインしています。例えば、Aの文字では、成人の多くが立ち上がる際に力点となる、ベンチの座面から250mmの高さで、前方向に250mmの位置にAの斜辺が当たるように設計されています。
 このイベントは1週間で終わりましたが、HP上では全作品がご覧いただけますので、もしよろしければ、ご笑覧ください。
 また、「あこうAやろう」は、ペンキが傷むまでそのまま設置させてもらうと言う約束で、イベント終了後に市に寄付をさせてもらい、赤穂の街の中心部(息継ぎ広場)において、今もなお道行く人に「A・K・O」をPRしています

ベンチアートあこう2006HP http://www.geocities.jp/kariyasalon/s-project/sp013.htm 

2006年の園芸通信


(今年は初めて元旦の朝に初詣をしてきました。天気は快晴、すがすがしい年明けでした。)
2006.1.1 元旦の赤穂八幡宮 2005.10.16 秋祭りの八幡宮(高須町頭人)
2006.1.1 今年のおせち料理 出発前に高須集会所前で(右から3番目)
2006.1.1 元旦の朝祝い 頭人行列演技中(左端)
♪新曲試作中「田舎暮らしをしませんか」♪

今年も素晴らしい一年でありますように。

ミトオを偲ぶ
 我が家の飼い犬ミトオは2度目の戌年を迎えることなく、昨年6月13日に他界しました。
 ミトオという名前は、その名の通り17年前の3月10日に当時独身だった私の妹が拾ってきたことからついています。
 父は、このミトオを可愛がりました。仕事のある日も早朝から畑に行っていましたが、傍らにはミトオがいつもいました。夕方時など畑仕事をしている父に「クンクン」と泣いて帰宅を促したといいます。
 その父も亡くなってもう13年が過ぎました。
 この家に住み始めた私たちの子供たちとミトオは一緒に大きくなりました。子供たちが小さい頃はミトオとよく散歩をしたことを思い出します。
 子供たちが大きくなった後は母がミトオを散歩するのが日課でした。
 これは、ミトオの死の数日前まで続きました。
 ミトオにとって不幸だったことは、我が家の改築をしたことです。
 既に高齢犬となっていたにもかかわらず、住み慣れた家がなくなり、さらに建て替えをするための半年間、母と一緒に妹の実家に仮住まいした。残念なことに、ここで「夜泣き」の癖がついてしまい、特に夏場になると、夜通し吠えて私たちを困らせました。苦し紛れに母がえさをやってごまかしていましたが余りに泣きやまないので、老犬になったミトオに私が手を挙げたことも何度もありました。
 父の死後は私がこの畑を耕し始めました。
 もちろん数年前までミトオを連れて畑に行っていました。
 畑では、冬は日当たりの良い場所で、夏は木陰で高齢になったミトオはのんびりと過ごしていました。
 今、彼はよくつながれていた八朔の木の横に眠っています。
 彼の死後はめっきり散歩に出なくなった母が久しぶりに畑に来て、傍らの水仙を供えてやったようです。
 

2005年の写真

我が家の野菜で作ったおせち料理(2005.1.1)
前列(ゴボウ煮しめ、菊花大根、梅ニンジン、酢ゴボウ)
後列(サトイモ煮しめ、大根煮しめ、カブ千枚漬け)
最後列(八朔)
(正月準備写真)
餅つき1  餅つき2  中学生アルバイト ターサイ

以下は2004年のデータです。
農園の作付け状況(PDFファイル)ここをクリック
園芸日誌 この日の作業 収穫物
4月3日 イチゴのシート掛け、タマネギ草取り、耕耘機 アスパラガス
4月11日 トウモロコシ、ゴボウ、ニンジン、大根、小カブの種蒔き、耕耘機 アスパラガス、ワケギ
4月17日 サラダ菜・韓国レタスの定植、ツルムラサキ、枝豆、三度豆の種蒔き アスパラガス、ワケギ
4月25日 トマト・ナス・ピーマン・シシトウ・キュウリ・サラダ菜の苗定植 アスパラガス、エシャロット
5月1日 中国野菜・三度豆・トウモロコシの苗定植 アスパラ・イチゴ・エシャロット
5月3日 トマト・ナス・ニガウリ・スイカ・マクワウリ・カボチャの苗定植 アスパラ・イチゴ・サラダ菜
5月9日 小カブの間引き、ジャガイモ土寄せ アスパラ・イチゴ・サラダ菜
5月16日 オクラ・ニラ種蒔き 小カブ・サラダ菜・ニンニク
5月23日 スイカ・トマト・カボチャ・マクワウリの敷きワラ 小カブ・サラダ菜・中国野菜
5月29・30日 トウモロコシ定植 タマネギ・ジャガイモ・サラダ菜
園芸通信画像帳
下記の項目はエバシ園芸通信の画像編です。
園芸通信を読んで、気になる画像をチェックしてください。
(定点観測を左から右へ見ていくと、季節の変わり目が楽しめます)

定点観測コーナー

定点A 4月11日 5月29日 7月4日
定点C 4月11日 5月29日 7月4日

旬の野菜・
畑の話題

0403アスパラ 0529トウモロコシ 0704スイカ
0403タマネギ 0530_ジャガイモ収穫前 0704トマト
0411イチゴ 0530_ジャガイモ収穫後 0704カボチャ
0530_タマネギ収穫 0704ツルムラサキ

その他の話題

0404片鉄ロマン街道天瀬駅 0501家外壁の柿渋塗り 0619夏期オコ調査
0404片鉄ロマン街道苦木駅 0508_家族片鉄サイクリング 0620オリックスVS近鉄
0529_金剛川の源流探索 0627淡路島夢舞台
0627褥創防止ベッド
バックナンバーページ (2003.1-5)(2003.6-2004.1)