日生カキお好み焼き研究会 活動物語     
    
カキオコプロジェクトx(小エックス)
1年目
第1話 カキお好み焼きとの出会い(2001.12)
 2001年12月のある日、E端(赤穂市在住)が仕事で日生を訪れた際、昼食をとる適当な場所がなくて駐車場から近くのお好み焼き「Hり」に入店。黒板に書かれた「カキ入りあります」の文字にひかれて注文し、カキ入りお好み焼きを一口食べたところ「これまで味わったことがないカキとお好み焼きのおいしさ」に感動した。
 翌朝、E端は毎朝赤穂線で一緒に通勤する仕事仲間で日生町の住民のT脇、K平にこの話をすると、カキお好み焼きを食べたことがない二人は半信半疑であった。役場の産業振興課でカキのPRを担当したことがあるK平は「日生のカキは大阪方面に持っていってもイマイチ売れないんですよ。あまり知られていないのかな。」と語った。「それじゃあ、カキお好み焼きのまちということで、売り出してはどうやろ。あのおいしさはやみつきになる。」とE端は昨日食べたお好み焼きと「出石そば」で大いににぎわう兵庫県出石町の光景を思い出しながら言った。「食べに来さしてなんぼやん」T脇が答えた。「そこまで言うんやったら、『全世界へ情報発信』にしましょう。冬場の観光客誘致の目玉にもなります」と国際関係の仕事をするK平が加えた。
 ということで、プロジェクトがスタート。「年が明けたら日生のお好み焼き屋で何件カキお好み焼きが食べられるか調べて、実際に食べ歩き(調査という)をしよう。」とすぐに決まった。
第2話 カキお好み焼き調査(2002.1)
 年が明けて、K平は役場の仲間に協力を得て、カキお好み焼きが食べられる店を5店探した。
 カキお好み焼きだけでは「味」がない。E端は、漁師町である日生独特の「雰囲気」が「カキお好み焼き」とセットで味わえれば、「おいしさ+おもしろさ」でリピーターが生まれると考えていた。
 毎朝(毎晩)電車の中でT脇、K平、Y山らが発するネイティブな日生弁は、隣の町に住むE端にもわからないことが多い。兵庫県境にあるため少し関西なまりがあるが、威勢がよく、独特の言葉が多くあり、何より今でも地元で活発に使われている。お好み焼き屋の「おねえさん(※)」に日生弁で大いに語ってもらえれば、お好みを食べながら、旅気分を満喫できると考えた。
 そこで、カキお好み焼き調査と同時に日生弁調査を行うことにし、調査票を作成した。
 いよいよ、2002年1月下旬の土曜日、研究会では第1回調査を行うこととなった。E端、T脇、K平に加えて、「岡山方面から来た20歳代女性の視点」で検証を加えるため、真備町からM竿が参加することになった。さらに、この日の朝、E端が妻に「日生のお好み焼き屋に調査に行く」と言いうと「どうせ若いおねえちゃんたち達と飲みに行くんやろ」とあっさり見破られ、結局E端の妻と子ども2名が同行、合計8名で、「E端家の家族サービス」も兼ねた調査が行われることになった。
 雨模様の寒い土曜日、午後1時から5時頃(最後の店で「飲み会」になってしまったので終了時間は不明)までに、調査隊一行は途中で水餃子屋での口直しも含め、5軒のお好み焼き屋の調査を敢行した。
※日生では大人の女性は何歳になっても「おねえさん」と呼ばれている。
<調査内容>

カキお好み焼き調査(店名、電話番号、駐車場、お好みの値段、カキの数、焼き方等15項目)
 おもしろい日生弁集め(日生特有の言葉の聞き取り)
<調査方法>
 調査の趣旨を説明し了解を得た上で、カキお好み焼き2枚を注文し4分の1ずつ食べながら、いろんなインタビューをした。(最後まで調査を遂行するために「1つの店ではビールは1本まで」とした。)
<調査結果>
 ・日生はよその町に比べてお好み焼き屋の数が多い。漁村であり、女性も働  いているからなのか。
 ・どの店にも日生弁を見事に使いこなす女店主=「おねえさん(※)」がいる。
 ・女店主は「おねえさん」と呼ばないと機嫌が悪い。「おばさん」というと相手   にしてもらえない。
 ・おねえさんは基本的には気さくで、話好きであるが、イチゲンさんには身構  えることがある。
 ・どの店もお好み焼きの焼き方が大阪風でも広島風でもない「日生風」であ   る。(山盛りのキャベツにトロトロの生地を混ぜてパアーッと鉄板に広げて   焼く。)
 ・新鮮なカキが山盛り乗る。(値段にもよるが、最低でも5、6個、多い店では  15個程度)
 ・どの店にも地元の固定客がいる。(毎日来るとか毎週3日は必ず来るとか   いうお客)
 ・一概に「カキお好み焼き」と言っても、店ごとに焼き方(カキを先に鉄板で焼  くとか、生のまま乗せるとか)、焼き具合、トッピングが微妙に違い、それぞ  れに見た目や味わいに特徴がある。
 ・日生ではカキはもらって食べるもので買って食べるものではない。冬の食   材としてどんな料理にでも使われる。野菜炒めにもカキを入れる。












         調査風景1

         調査風景2

         調査風景3

    なぜか水ギョウザも食べた

         日生の路地
第3話 マップ作成(2002.2〜3)
 食べ歩き調査で、研究会メンバーは、日生には狭い範囲にカキお好み焼きが食べられる店が5軒(後に8軒あることが判明)もあり、食べ歩くことがとても「おいしくて楽しい」ということを確信した。
 手作りの「カキお好み焼きマップ」は皆で手分けして試作した。元になる地図を日生町在住のK平が、カキのイラストをM竿が、マップのタイトルをE端の娘M環(当時1年生)がそれぞれ作成し、総合企画とレイアウトをE端が担当した。
 このマップの完成はカキの旬も大詰めの2月下旬だったが、役場や県庁などの知り合いに配ると皆好評であった。マップが出回りはじめると、あと2軒カキお好み焼きをやっているという情報が入った。中には、岡山から早速マップを持って食べに行ってくれた人もいて、皆口々においしかったと喜んでくれた。本当にささやかなブームが起こり始めた途端に、1年目のカキお好み焼きシーズンは終わった。
2年目
第4話 タウン情報おかやま掲載(2002.11)
 2002年11月上旬、どこでカキお好み焼き情報を聞きつけたのか、「タウン情報おかやま」からK平に取材依頼があった。なんと「日生カキお好み焼き特集」を組んでくれるとか。K平は取材を受けるに当たって、研究会の一員ではちょっと迫力がないのでとりあえず「代表」になった。そう言えば、研究会と言いながら、会長も会員も何も決まっていなかった。
 11月下旬、川平代表の写真入り見開きの特集記事が載った「タウン情報おかやま12月号」が店頭に並んだ。初めて自分たちの取組が活字になって登場したことに感激し、E端もT脇も発売日にはコンビニに走った。
 12月の上旬、家族と友人家族合計8名を引き連れて日生にカキお好み焼きを食べに行ったE端は、今まで日生のお好み焼き屋で見かけたことがない若い女性2人連れが鉄板の前で食べている状況を発見。「何を見て来たんですか?」と聞くと「タウン情報です」と答えが返ってきた。この時、E端はカキお好み焼きの大ブレークを予感した。
第5話 RSKテレビ「VOICE21」収録(2002.12)
 2002年12月今度は何とテレビ取材の話が研究会に舞い込んできた。それもRSKの人気番組「VOICE21」だとか。「取材に同行すればええんじゃろう」と軽い気持ちで即OKしたら、数日前になって「研究会の人も一緒に出てください」ということになった。みんな慌てた。E端、T脇、K平の3名が取材日の午後、仕事を休んで出演することになった。
 さて、12月13日の取材当日。集合場所の日生町役場前に遅れて到着したE端は、なぜか研究会の「会長」になっていた。何でもテレビ収録ではそう呼ぶ方がそれらしいということだった。ちなみにE端は、この番組の人気レポーターのトメちゃん(奥富亮子アナウンサー)を全く知らなかった。なにせ、赤穂市ではRSKは映らない。「トメちゃんってどの人?」と思いながら、取材スタッフにあいさつした。「よくモノを言う女性ディレクターやなあ」とE端が思った人が実はトメちゃんだった。E端はトメちゃんはこの時まで男だと思っていた。
 実はこの時もう一人、赤穂線の通勤仲間I本が飛び入りで同行していた。飛び入りなので、先に取材先のお好み焼き屋「H屋」に行っておくことになった。
 午後2時過ぎ、番組の冒頭シーンは港を背にして、トメちゃんと研究会3名の会話から始まった。
「自然な雰囲気で気軽にやりましょう」トメちゃんの言葉どおりに、3人ともテレビカメラの前でも普段どおりのノリのまま収録が始まった。
 さて、「H屋」では、先回りしたI本がカキお好み焼きを注文しており、すでに目の前で焼き上がろうとしていた。鉄板の前に並んで座ったトメちゃんと研究会の3人のうらやましそうな顔をしり目に、I本は「生まれて初めてのカキお好み焼き」をいきなりテレビカメラが大アップで撮影する中で食べた。いわゆる「おいしいところを持っていった」と皆思った。(この日から約1ヶ月後の放映日まで、I本は「テレビ出演」について、家族をはじめ周辺に宣伝していた。が、結局あのシーンは完全にカットされていた・・・テレビ界は厳しい。また、T脇の甥の保育園生S吾はトメちゃんの大ファンで、撮影の見物に来ていて、トメちゃんのツーショット写真を撮ってもらったにもかかわらず、放映日には全く出演できず、大いに泣いた。)
 この日の収録は、むき立てのカキを山盛り乗せて焼く「H屋」と本屋さんのおじさんの趣味が高じてお好み焼き屋になった「Mした」の2店で約3時間かけて行われた。途中、合コンタイムや記念撮影、サイン会など、何でもアリの収録だった。(詳しくは書けません・・・)もちろん研究会メンバーの「普段どおり」は、結局最後まで変わらなかった。「トメちゃんはどう見ても近所のお姉さんみたいやった」と後日3人の誰かが語っている。もちろん出演するシロウトを緊張させず、「エエ味を出させる」のがトメちゃんの「ワザ」であることは言うまでもない。












      H屋前での記念撮影

       K平代表とトメちゃん

       S吾君とトメちゃん
第6話 テレビ放送と大ブレーク(2003.1〜2)
 日生では、すでに「タウン情報」人気で12月から「カキお好み焼き客」が増え始めていた。そして迎えた1月9日の「VOICE」放映。1時間番組の冒頭から約10分、まさしくこの日の番組の一番「おいしいところ」で日生カキお好み焼きが採用されていた。「E端はトメちゃんよりもようしゃべりよった」「K平はエエつっこみしてた」「T脇は一言もしゃべらんかったけど最後まで食べとった」等々研究会の存在感はそれなりにあった。それはともかく、テレビに映し出されたカキお好み焼きの「おいしさ」は取材当日現場にいた者でも「今すぐ食べに行きたい!」と思わせるものだった。
 次の日から日生にパニックが起こった。「お好み焼き屋に行列が出来る」という前代未聞の光景がみられた。特にテレビに出た2店では、土日には1時間待ちは当たり前で、研究会が聞いた情報では、ある店で最長「3時間待ち」で食べた人がいる。
 その他の店でも、カキお好み焼き客が後を絶たず、土日はカキが売り切れる店が相次いだ。
 1月中旬から2月にかけて、日生では「カキお好み焼き」ブームが続いた。そして、その様子は次々と新聞で報道された。  

宮島カキ祭調査検討会(03.2.10)

国際交流カキお好み焼き調査(03.2.17)
第7話 日生カキ祭りでカキお好み焼き屋台を出店
   (2003.2)
2月上旬の振興局。K城課長が言った「E端君、2月23日に日生カキ祭でやるから、ちょっとカキお好み焼きを焼いてみんか。」「そりゃあ面白そうですけど、カキお好みはシロウトでは焼けないでしょう。」E端が答えた。T橋局長が言った「まあ方法は考えるとして、カキお好みがここまでブレークしたからには、最後の“押さえ”が肝心じゃからなあ。」カキお好み焼き屋台の出店があっさり決まった。
 しかし冷静に考えてみると、屋台をするにはテントも鉄板も材料も調理器具も焼く人も売る人も全部手配する必要がある。
・・・いろんなやり取りがあった(略)・・・
 振興局でイベントを担当するY田貝と町役場のイベント責任者であるK本らの協力により、結局テントは町役場が、材料費は振興局が、焼いて売る人の手配は「日生カキお好み焼き研究会」がそれぞれ分担することになった。
 しかし肝心の焼き手はシロウトでは出来ない。「下手なものを売って、カキお好み焼きのイメージを落とすわけには行かない。やっぱりプロの力が必要だ。」2月10日夜、元祖研究会員のE端、T脇、K平、M竿と新顔のA山は、唯一日曜が休みのお好み焼き屋「Hり」になだれ込んだ。「Hり」はそもそもE端がはじめてカキお好み焼きを食べた店であり、最初の食べ歩き調査に来て以来、何度もやって来ては、この夫妻と「カキお好み焼きで日生の町おこしをしよう」と語り合っていた。
 E端はHり夫妻に単刀直入に言った。「23日の日生カキ祭に屋台を出すから、なんじゃろうと手伝ってもらえんでしょうか。」カキお好み焼き屋台の成功はこの夫婦の協力にかかっている、研究会の5人は固唾をのんで返事を待った。
 「ええよ、そのかわり私は匿名のボランティアにしといて。」と「おねえさん(R子)」が言った。そして、夫のS策が屋台の「店長」に決まった。「よっしゃ、これで行ける!」研究会のメンバーは何度も乾杯をした。近所に住む役場職員のS本も呼び出されて乾杯は続いた。
 「1枚のお好み焼きを4つに切って、一切れ100円で売る」「今回はあくまでもPRが目的で試食のようなもの」振興局が材料費を負担するため採算をあわせる必要はないが、実際に商売をしているお好み焼き屋に悪影響が出ないように配慮する必要があった。
 屋台名は、おねえさんの一言で「ゴジャバコ屋」となった。(「ゴジャバコ」は日生弁で「無茶苦茶な」という意味で、イメージとしては「大ボラ吹きの店」という感じか。)
 いよいよ23日、カキ祭当日。前日の雨は何とか上がった。Hりの店ではおねえさんが早朝からキャベツとネギをきざんだ。9時スタッフ全員集合。ボランティアには振興局や役場などの職員をはじめ、地元に住むT脇の両親、Y山の息子、赤穂からE端の妻、さらにはE端の家を建てた大工のY名まで合計20名が集まった。
 鉄板を磨いている時から、「並んで待ってもええじゃろうか」と声がかかり始め、開店予定の40分前(9時20分)から行列ができはじめた。すごい人気である。「テレビで見て、食べてみたかったんじゃ」行列はあっという間に30人以上になった。・・・鉄板がなかなか暖まらんわ・・・行列が50人を越えたよ・・・1時間以上待ってもらってる・・・3人を「Hり」の店に帰して2カ所で焼くか・・・材料が足らなくなった・・・キャベツを切りに行って来て・・・箸が足らない・・・すいませんここまでしかありません・・・完売・・・400切れの予定が507切れ売れた。スタッフ一同、ハラハラ・ドキドキ・楽しく・忙しく・寒く・熱く焼いた一日が終わった。
 この屋台で507人もの人にカキお好み焼きを味わってもらえたことを皆誇りに思った。
(この屋台の収益は後日「岡山国体推進募金」に寄付された。)

   カキお好み焼きの大行列

 大工さんも焼いた、お父さんも焼いた

         看板娘たち












    「ゴジャバコ屋」記念写真
         (2003.2.23)          
つづく
プロジェクトx2はここをクリック